2006年11月26日

落ち葉と道普請(???)

今日は晩秋恒例の道普請
道普請という言葉は都会生まれの都会育ちの方々には聞きなれぬ言葉でしょう。
この日記の続きに多少触れます。
興味のある方は今日の日記の続きを読むでもご覧下さい。

今年の落ち葉は非常に多い。
スケッチブックの庭も落ち葉だらけ。
別にズボラをしている訳ではないのですが。
朝方落ち葉を徹底的集めても、風の強い日は半日でこのありさま。

庭の木々にはまだこれだけの葉っぱがついています。
元々、楢の木や栗の木の葉っぱは一番最後まで残っています。
今年は葉っぱの落ちるのが10日ほど遅い様です。

特に今年は山々や野の木々の葉っぱが非常に多く、その分木々につけるドングリの実の付きようが少ないそうです。
だからあちらこちらの町場まで熊が出没する事になった様子。

後しばらくは、枯れ葉散る晩秋の風情が清里でも楽しめると思えば、気楽なものですが。
清里でも、大門川をはさんで西に存在する川西5地区には熊が出没することはまずはないと思いますので。
その代わり、猪の出没が多いのは事実です。
夜間の車走行には注意が必要でしょう。

秋の風情といえば、露天風呂に入っている時、照明を暗くし、枯葉の散るのを見ていると、晩秋の風景が楽しめます。
私にも、自然の楽しむ感性が、備わってきたと、一人悦に入っている、露天風呂なのですが。

都会にしか住んだ経験しかない私には、清里の田舎に住んで、不思議と言うか、理解が出来なかったのが、住民の負担が大きい事だった。でも住み始め、半年もたたないうちに理解できるようになった。最初は土地に馴染むべく、地元民との交流をすぐに勤める中で知り始めた。
数字を並べれば、理解はたやすい。清里の人口は2000人程度。面積はどの程度あるのか未だ詳しくは知らないが。でも多分東京の世田谷区辺りより広いと思う。世田谷区の人口はおよそ85万人。
税収が違うのです。いきおい、自治体の力には天と地ほどの差がある。清里の生活道路はほんの40年くらい前までは大半が砂利道であった。その生活道路を守るのは大方住民の力が必要なのである。町役場から砂利だけを運んでもらい、住民の手で道路補修をするのです。それが道普請です。
まだ理解の出来ない人に、判りやすくするたとえ話に自衛消防団というものがあります。
自衛消防団は、清里ほどの田舎に来なくても、都会の側の郡部の市町村にもあります。
都会から来た新住民がある会合の時発言した。「何でもかんでも、住民、住民といって負担が多すぎる。例えば自衛消防団なんかあるのが判らない。消防なんて町が遣る事ではないか?」
その発言に対して、私が即座に言い返した。
清里と、例えば、世田谷区の面積はどちらが大きいかは知らないが、人口が85万人と2千人との差がある。税収が違う。85万人の税収から消防署が幾つ作れるのか?
2千人の税収からは消防署を一つも造れない。確かに家屋の数にも大きな隔たりがあるが。
清里には山林が沢山ある。そこには山林火災が発生する可能性が高い。これを消火するのに高根町(清里を含む9千人の町)の一つの消防署頼っていたら、いくらなんでも山火事は消せない。当然住民の出動になる。自衛消防団がなければ、清里なんて全部禿山になりかねない。
この調子で、人口密度の極端な違いは、どうしても住民頼りになる、自治体があることに不思議はないと思う。
それでも、今と昔では、今の方が清里の住民負担が軽い。でもまだまだ、いやこの先、都会より住民負担の大きいのは続くであろう。住民負担が嫌なら、田舎暮らしに甘い幻想を持つのを止めた方が良い。都会からの田舎暮らしへの憧れを持つ人達は、くれぐれも覚悟の程を。
田舎には都会暮らしでは味わえない自然の享受をある事をも知ってもらえるでしょうが。