2009年01月02日

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲

昨日元旦
最低気温-9.2℃

大晦日から元旦の朝にかけ徹夜ですごし、早朝にルーリン彗星の撮影に望む予定だったが。
昨年来の疲労極致に達し不覚にも3時半に睡魔の襲われ仮眠。
目が覚めたのが5時。
大型反射での撮影諦め、スライディングルーフに直行。
が、さそり座βを基準にし望遠鏡僅か2度足らず動かすだけなのに脱調。
(しまった電源入れっぱなしにすべきであった。少なくとも一時間前から電源ONに……)
好調に始動のオートガイダーまで不調。
結果、双眼鏡で彗星を確認しただけ。
元旦早々失意の中、毎年恒例の中清里東念場班の互礼会の集合写真撮影の準備。
が又、睡魔襲う。
直前に起き互礼会へ

型通りの列席のはずが結構面白かった。

お昼過ぎ写真整理し、夜整理した写真のCDを持ち班長さん宅へ。
玄関先で失礼する心算が、暖炉のある部屋に上がりこみ。

班長さんは大学の先生が本職というより、ヴァイオリン作家?。
「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴かせて頂けませんか?私全くの俗物ですから。」目の前にあったモーツアルト無視。
ヴァイオリン協奏曲を探して頂いている間に目に付いた「悲愴」を聴く。

疲労の極致の午前中が一転し夜は元旦にもかかわらず、音楽鑑賞。
それもチャイコフスキーの「悲愴」が始まりか?
元旦なのに余りにものんびりした夜を過ごさして頂いて良いのか?
それにしても夜中から朝方にかけての疲労の極致はなんなんだ。

これは「この一年どうなるのかな?」の不安横切る。
疲労と悲愴よりヒソウはヒソウでも悲壮の方がまだましかな?

「あったよ、目の前に、こんな所に」と先生。
向かい合って座る大きなテーブルの上のCD版の山の中から探し出されたのが上の写真のCD版である。
先生のご自宅にあるのは、タイムドメイン社のヨシイナイン。
悲愴を聴きながら私の拙いオーディオ感をポツリポツリ。
このスピーカーやはりただものではない。
私が借りっぱなしのグランドセプターの設計者が作られたのが、この俗物(私)でも理解できる。

次なるチャイコフスキーヴァイオリン協奏曲がかかった途端
「内の『チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲』とは違う」

我儘を言ってお借りしたCDをもって我が家に帰って聴いてみる。

「フーン、あれっー、この違いはなんなのだ?!?………」暫らく心の中まで沈黙。

後は好みの問題で型をつけてもらうしかない。