2005年05月21日

今日も清里のんびりしてた。

この朝も清里から眺める南アルプスはのどかだった。
05年5月19日9:00頃ペンションの庭から撮影。

19日朝より関西行きの準備。京都のショップに行く準備の為ドームに部品取りに行き
またまた南アルプスに眼がいき、数ショット。一枚上の写真。
旅行準備の最中、尼崎JR事故の犠牲者の話。「数年前に父親を亡くした娘が母の日のプレゼントに、旅行のクーポン券を母親に届けにいく(?)時に事故にあい、死亡」との話あり。
聞くに堪えぬ、むごい話。我子を亡くした母の思い。孝行娘が何故死ななければ‥‥‥
この話、ドームの中から出てきて妻から聞く。
今度の関西行き。三重県に眠るサラリーマン時代の尊敬する上司に現況報告の墓参り。奈良に住む叔母(我子(私)を抱くことなく戦地に散った父の妹)に逢い行き、大阪に祖父の墓参り、帰りに京都のショップによる。、4月25日の日記の反省どうなったのか?時間、割いて事故現場に献花をと考ええた。インターネットを見ると何でも書かれてる。「現場への地図」も、インターネットを繰るうちに、「日勤勤務」「記者がJR西日本幹部に暴言」「宴会出席軽率」「過密ダイヤ事故の原因とは関係ない」等色んな記事が眼に入る。何日か前「北側大臣、線路カーブにブレーキ設置を」の記事見ました。大臣の言われる事正しいのでしょう。でも「政治家になる人ならもっと他にブレーキかけるとこあるでしょうが?自由競争原理社会にブレーキかけられないの?」このままだと、自由主義社会(?)崩壊でしょう。別な事故、色んな所でおきますよ。個人の尊厳無視の風潮やまず。
混雑するであろう事故現場に辿り着き、私、献花に行き何になる?胸の潰れる思いの中、
ある番号見つけ。私に出来る事何も無し。またまた安易な結論。針路変更、郵便局に進路。
私の出来る事これだけ。

正直、4月25日の私の日記削除しようかどうか迷いました。こんな怖ろしい、傷ましい事故の最中、私が日記にのんびり書いている事、恥ずかしい。削除簡単。
JR西日本社員、当日宴会、カラオケ。一年間くらい停職にされてみては?
私みたいな、尼崎から遠い清里の山の中の、ただのペンションのオッチャンですら、不謹慎悩んでたのですから。
北側大臣の場当たり発言。私、当ホームページ、オーディオの話に掲載した、生意気発言削除しません。決めました。