2009年12月27日

アイゼンバンド

この場所、ペンションの建物の表南面の一番近いところのよろい戸。
見た目、開いたままだと、みっともない。

もう数ヶ月この状態。
今更、閉めに上がるのは面倒だが。
2階の小さな点検口から上がる

思い立った時やらねばで、上がっていった。
キチット閉めたのは当然だが、窓のある天井裏で、ある物を見つけた。

八本爪のアイゼンだ。
学生時代愛用していた山用のアイゼン。

高校生の時、山岳部に入り、登山靴を買った。
買った登山靴を押入れにコソットしまい込もうとしている時に、母に見付かった。
いずればれる事なのに、多分母に対する遠慮があったのだろう。

「山に登るのか?」
「ウン、ハイキング程度の山……登るだけやけど」
「約束してくれるか?」
「なにー」
「冬山に登らんとって、それから岩登りせんとって、一人で山に行ったらあかんで、約束してや」
「うん。大丈夫や」

しかしその三つの約束は4年後にすべて破った。
その証のアイゼンを見つけた。
ただし、少し言い訳をすると、このアイゼンにはビニールテープが捲いてある。
登山靴に直接つけるようになっている。
右と左が判るように、一箇所色が違えてある。

オーバーシューズを履く様な厳冬期は避けていたのが、少しは母に対する申し開きであった。
しかし実際は、降り積もった雪が凍てつき、足を滑らせてしまう氷の上を何度も歩いたのは事実だ。
懐かしのアイゼンには、アイゼンバンドもくくり付けてあった。
多少きゃしゃなアイゼンバンドではあるが。

アイゼンバンド。
年末年始の休暇を利用し、3000mの頂を、未だ誰一人厳冬期に昇った事のない尾根のルートを使い、頂上に挑んだ三人の登攀隊のリーダーの遺体は、五月の連休明け2週間もたってから頂上の雪の中で、登山者によって偶然というより、雪解けが進み必然的に発見された。

発見、通報、県警へ入電、検視と手順が踏まれ。
最後の遺体収容となる。

収容時に驚きの眼で見られたのは、アイゼンバンドがズタズタに切られていた事だ。
厳冬期の3000mの頂でアイゼンバンドがズタズタに切られている事はなにを意味するのか?である。

彼は未だ22歳。
葬儀に出て、お棺の中のご遺体を見ることもなかったようだ。
未だ短い人生の中で、始めてみる遺体であった。遺体は壮絶な最期を遂げた事を理解させるには、十分な状態であった。手の先は天をかきむしる様な状態で、中途半端に青い空に振りあげられていた。
顔の色は凍傷だらけで茶褐色。
口の開き方は明らかに苦痛に歪んでいた。
横から見ると座ったままで正方形の囲いには入る体制で硬直していた。

彼は始めて遺体を見たのにもかかわらず、多少の緊張からか、恐怖感は全くなかった。
県警の若い身の丈180cmの大男の警察官と160cm足らずのベテラン警察官に連れられ、遺体の発見場所の頂上にいた。
検視の後、数十時間経ち春の風が吹き、雪に半分埋もれた遺体を再び下半身と脚の部分を掘り起こした。
そこで見たものはアイゼンバンドがオーバーシューズとアイゼンの括り目で全部ズタズタに登山ナイフ様なもので切りかされていたことだ。

彼は、「アッ、アイゼンバンドがズタズタだ」
遺体はスペア持っているようには思えない。
たとえ持っていたにせよ、「すべての箇所をズタズタに切っている。」
「ここまで切る必要があったのか?」である。
山の経験の浅い彼には3000mの頂でアイゼンバンドを切ってしまうことは、下山を放棄していえるとしか思えなかった。

「これどう言うコトなのですかね?」
若い警察官は「どう言うことか判るだろうと」一言、厳しい眼差しで吐き捨てるように言った。
彼は右手の人差し指で、自分の頭をおさえ、手首をグルグルまわした。
『やられたんですかね』
「そうだよ、脚は全部凍傷で早くアイゼンを外したかったんだよ」
二人の警察官と彼はそれぞれの経験で、仏の最期を想像する。

年配の検察官は「オーオッかわいそうに、かわいそうに苦しかったんだよな」と仏に向かって手を合わせた。

冷静に遺体を見始めた彼には好奇心というもは殆んど無かった。

好奇心を打ち消すように、ズタズタのアイゼンバンドが強烈な印象をもたせた。

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